思い出と秘密

刀剣乱舞の二次創作置き場。

日差しが直接まぶたにあたる感覚で意識が浮上した。
まぶしくて身をよじり、隣を手で探る。布団の感触がないのに気づき身を起こせば、そこは荒れ果てた建物の一室だった。
屋根がところどころ朽ちており、そこから日光が差し込んでいる。
畳もあちこちが腐っており、剥がれている箇所もある。
自分が持ち込んだ土産ものは昨晩ひろげたままの状態で置いてあり、自分の体の下には古びた女物の着物が敷かれていた。

小狐丸は辺りを見回し、瞬時にすべてを悟った。
きつく目を瞑り、強い感情を押し込める。ひとつ息をつき、立ち上がると迷わず奥へ進んでいった。

そこはかつて、妻と居間として使っていた部屋だった。
忙しい日々を送っていたふたりが、やっとくつろげる夜更けにお茶を飲み他愛のない話をしたり、寄り添ってひとつの書物に見入ったり、そんな平凡で小さな幸せのあった部屋だった。
妻に、身篭ったと打ち明けられたのもここだった。抱きしめ合ってふたりで少し泣いた。しあわせだった。

朽ち果てた、かつては居間だった部屋の片隅に、見慣れた箱を見つけた。
妻の手箱だった。
まるでそれだけ時が止まったかのように、うつくしい蒔絵もそのままに、それはそこにあった。
小狐丸は震える手で蓋を開けた。
中に、きれいな色合いの和紙に包まれた何かが入っている。
開けば、そこには小さな守り袋があった。拙い作りの、小さな小さな守り袋。
包み紙に、歌が見えた。

さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

妻の筆跡だった。

小狐丸の目から涙が落ちた。
大きな体躯をかがめ、身を震わせて小狐丸は泣いた。
最後に見た妻の姿が、そして、これまで心の奥底に封じ込められていた記憶が蘇った。

──いつものように妻に見送られて出陣したあの日。
錬度の低い者たちを率い、隊長である小狐丸は無理なく経験を積める戦場へと来ていた。
決して、油断をしていたわけではなかった。
にも関わらず、気づけばとても相手にしきれない数の敵に囲まれていた。
有り得ない数だった。
少し離れた所に、別の本丸所属の部隊がいた。
同行していたそこの審神者に敵側に出陣の情報が漏れたらしいことを聞いた。

…その後は、地獄だった。

地獄とはこういうことを言うのだろう、と心から思った。
仲間が次々に倒れゆく中、他本丸の審神者が叫ぶ声が聞こえた。
「いくつもの本丸に敵襲がかかっている!小狐丸、君の本丸に戻れ!今すぐ…」
それを最後に、彼の声が聞こえることはなかった。

どのくらいの時間が経ったのか。
もう小狐丸は指先すら動かせなくなっていた。
そこかしこに走る傷は深く、もうこれ以上は戦えないと悟った。
目を閉じれば、笑う妻の顔が見えた。
妻の、体には、私の、やや子が…

── 暗転 ──

「睡蓮…!」
愛しい妻の真名を呼んだ。
魂だけになってなお、自分を待ち続けていた愛しい女の名を。
たとえ夢となってもひとめ逢いたいと、朽ちても待ち続けていた妻の名を。
もう誰に聞こえても誰に知られても構わない、もう誰に知られても困らないのだ…
彼女の手により書かれた歌が、滴り落ちる涙に滲んでいく。

さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

…愛しいあなたが帰ってくるだろうと思う気持ちに裏切られながら、それでもよく私は長らえたことだわ。今日という日まで。

持つ手が傾き、箱の中身が落ちる。
拾い上げてみれば、それは赤ん坊用の靴下であった。
気の早い妻が、時間を見つけては少しずつ少しずつ編んでいたもの。決して器用とはいえない妻が、苦心しながらしあわせそうに編んでいた様が浮かんで、小狐丸はまた泣いた。


******


廃屋となった本丸の朽ちた門をくぐり、振り返り小狐丸は小さな声で諳んじた。

寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたは空蝉の世ぞ夢にはありける

──眠っても、目覚めていてもお前の面影が目交いまなかいに浮かぶ。およそ、この世の方が夢なのであろう…