思い出と秘密

刀剣乱舞の二次創作置き場。

雨あがりの朧月夜に、狐が愛しい者のもとへ帰る話

進んだ先は夜だった。
周囲に立ち込める湿り気と匂いから、雨が降ったものとみえる。
月はぼんやりとかすみ、弱い光を地上に投げかけている。
濡れた草を踏みしめ歩けば、懐かしさが込み上げた。
先に長屋門が見える。本丸だ。
小狐丸は走り出したい気持ちを抑え、ゆっくりと近づいた。
門をくぐり、玄関へ駆け込むともどかしく履物を脱ぎ中へ入る。
応接の間を抜け廊下を進むが、人の気配がしない。
今が何時かはわからぬが、ひとりも刀剣男士の姿が見えないのは妙だ。
どこかに集まっているのか。
そう考え、皆で食事をとっていた大広間を目指す。
その間も誰とも行き会わなかった。

小狐丸は、ひたりと足を止めた。

おかしい。まるでもぬけの殻のようだ。
「誰かおらぬか!小狐が戻ったぞ!」
呼ばうも応えはない。
広々とした屋敷の中は、声がこだましそうな静けさに満ちている。
もう我慢ができなかった。
小狐丸は廊下を駆け抜け、審神者の住まう棟へ急いだ。
自分が留守にした間に何かが起こったのは明白だった。敵襲ではなさそうなことだけが救いだ。
誰もいないにも関わらず建物はきれいに手入れされている。あかりも灯っている。
…もしや、鶴丸あたりが自分を驚かそうと仕掛けたことではないか。
そんな考えが浮かぶほど、誰もいないこと以外は変わりない邸内の様子だ。

ようやく目的の部屋まで辿り着く。
審神者である妻と暮らしていた部屋だ。
部屋の襖は閉まっており、あかりが漏れている。
震える手でほとほとと叩いた。
「…誰?」
中から、懐かしい、涙が出るほど慕わしい声が、した。


******


久方ぶりに会った妻は、最後に見た姿より年を重ねて見えた。
そして、その体はひと回り痩せ儚げな風情を漂わせていた。
その唇が戦慄き細い手が差し伸べられると同時に、小狐丸はその体を強く抱きしめた。
「ずっと…ずっと待ってました…」
妻の涙を親指で拭い、そのまぶた、頬に口付ける。
濡れたそこはひんやり冷たかった。
「長く待たせた…相済まぬ」
会えなかった年月を取り戻し埋めるように、ふたりの抱擁はほどけることがなかった。

ようやっと妻のおとがいを離した小狐丸は、
「やや子は…やや子は如何した」
と囁くように妻に問うた。
「無事に生まれました。男児です。起こしてきましょう」
そっと夫から離れ、妻は奥へ向かった。
小狐丸は先ほど取り落としてしまった土産物の包みを拾った。初めて会う息子に、動悸が激しくなる。自分を父だとわかるだろうか。怖がって泣いたりはされまいか。
「あなた」
呼びかけに振り返れば、妻の腕に抱かれた幼子が眠たげに目をこすっていた。
見事に自分そっくりである。
その白くふっさりとした髪、赤い瞳、ちらりと覗く犬歯。
「ほら、お父ちゃまよ」
幼子は眠さで機嫌が悪いのか、怪訝そうに小狐丸を見つめるばかりである。
仕方ないわねえ、と妻は笑い、小狐丸へと息子を差し出した。

恐る恐る抱き上げてみれば、ずしりとした重みとぬくもりに強い感情が突き上げた。
自分の血を継いだ我が子、それを抱いたそのとき、小狐丸は後頭部を思い切り殴られたような衝撃を受けた。
目も鼻も口も、すべてが自分の血肉を分けたものであるその存在は小狐丸の心を激しく揺さぶった。
しばらくは声も出なかった。
その様子を、妻が慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。

その夜は川の字で寝た。
幼い者がすっかり寝入ると、小狐丸は妻を愛した。
妻が涙ながらに訴える、待った年月のつらさを慰めた。会いたかった気持ちを深く深く伝えた。しあわせで何も考えられなくなりそうだった。
最中にふと思い出し、本丸に誰の姿も見えないことを妻に訊ねたが、その話は明日しましょう、と抱きしめられ、そのまま何も考えられなくなり溺れていった。